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Sun.

vol.128 ラーメンライス

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 ラーメンライスには食べ方のルールがある。始めにラーメンの麺だけを食べる。麺だけで決して中に入っているチャーシューだのメンマだのナルトだのを食べてはいけない。麺を食べ終わったら、ご飯・スープ、それに残しておいたチャーシューなどをおかずに食べる。これがおいしいラーメンライスの食べ方。
 若くて、やただお腹が空いていた頃、いつもこうして食べていた。それは一番安価で一番お腹が一杯になる方法でもあった。
 ロケで地方に出たとき、仕事が終わり近くのラーメン屋へ。手伝ってくれた10代の若者も私も注文はラーメンライス。ところがそのラーメンライスがマズイ。仕方なくご飯だけを少しずつ食べていると手伝いの若者が言った「そのラーメン食べないのなら食べてもいいですか」と。そしてウマイウマイ言いながら食べている。
 スゴイ。こんなラーメンをウマイと言って食べれるなんて本当にスゴイ。その時私は30歳になろうとしていた。
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Sat.

vol.127 相撲取りの力

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 チャンコ鍋の店は相撲業界を引退した人がやっている事が多い。高円寺にあったその店も元相撲取りで三段目まで行ったと言っていた。元相撲取りらしい巨漢で、身長180cm・体重100kgはあったと思う。手先が器用なのか料理は繊細で、行くと相撲の色々な話をしてくれる。
 ある晩店のそとで大きなドナリ声が聞こえる。そのままほっとくと、今度は店の表戸に何かがぶつかって大きな音がした。あわてて店の中にいた全員(といっても4~5人)が表に飛び出す。外にでたマスターは大きなゲタを履いているので2m近い。
 若い酔っ払い同士のケンカでどちらかが近くのカンバンを投げたらしい。今にも乱闘が起きそうな中、マスターがつかつかと歩み出て、1人をつまみ上げた。鍋のフタでm、おつまみ上げる様に軽々と襟首を持ち上げたのだ。「ケンカはいかんよう」と言いながら。
 こんな人達がぶつかり合うのが相撲なんだと思った。
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Fri.

vol.126 デジタルカメラ

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 東京でカメラマンをやっている知り合いが、口を揃えて言っている「写真がデジタルになってギャラが安くなった」と。「で、どれくらい」と私。「良くて半分、安いと十分の一」
私が東京で写真を撮っていたのはもう三十年も前。その頃に比べてこんなに安くなっている。これはデジタルのせいとしか思えない。
 デジタルカメラが出始めた頃、これはカメラではないと思った。何故って、カメラは撮るもの。デジタルカメラは入力するものと思ったから。情報を入力し、それをパソコン上でイメージに近づける。つまり、写真の約束事だった「写っているのは本当の事」ではなくなってしまう。そうなると撮影者はカメラではなく、パソコンの画面上でのイメージで撮影するようになる。コレがカメラか?
 あれから十年。デジタルカメラはどんどんパソコンの進歩と共に性能を上げて行き、今では家電メーカーが作るようになった。
 でもね、私はこれだけは言いたい。デジタルで撮った、心に残る写真を見たことがないのは何故。
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Thu.

vol.125 試験はパソコン持込で

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少し前に大学の入試をケータイでカンニングする事件があった。日本中が大騒ぎだったけど、私は入試問題そのものが今のままでいいのかと心配になった。
 今時、仕事にパソコンを使っていない会社は無いと思う。毎日当然のようにパソコンを使い、それを当然の事として世間は動いている。パソコンを使うことが前提となった以上、パソコンにできることはパソコンに。が当り前。つまり知識は不用になったともいえる。だから人間がすることはパソコンに出来ない事。つまりデータとしてまだパソコンに取り込まれていない事になる。
 それは企画だったり、戦略だったり、予想だったり、そんな事。それに今の若者はパソコンの中の知識を自分のものと思っている節もあるし、だったらなおさら入試問題は知識を問うものでもなく、発想を問うべきだと思う。
 そんなパソコンにない素晴しい発想をする若者がドンドン世の中に出て来たらワクワクするんだが。
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Wed.

vol.124 映画批判

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 映画批判という映画雑誌があった。いつ頃まであったのかよく覚えていないが、70年代の終わり頃まではあったと思う。編集長の松田政男は、当時一部の人にはとても人気のあった映画評論家で、今でも彼の影響を受けた批評家は多い。
 映画批評というスタイル通り、映画の写真などほとんど無く、もう文字ばっかり。編集長が原稿用紙100枚以下の文は読み気がしないと豪語していたこともあって、どの分も長い。おまけにやたら難解。私は竹中労のルポタージュだけが楽しみで、他の文章はほとんど理解不能だった。
 そんな映画批評ではあったが、最初の頃はグラビアページがあって、その写真がまた何が写っているのかほとんど分からないまっ黒な写真。荒れた画面に何やらモノらしき何かが写っていたり、暗い海に暗い空、なんとも意味不明な写真。でも私にはとてもインパクトがあった。何故って写真は何かを写すのではなく、何かを表現する事が出来ることを教えてくれたから。それが、写真家「中平卓馬」との出会いだった。
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Tue.

vol.123 チャンピォン

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 高円寺のガード下にその店はあった。洋食好きな私はその店のトンカツが大好き。なので金回りがいい時はたまに行ってた。が、そこに来てるお客さんがすごい。ほとんどの人の眉が切れてる。なかにはほとんど無い人もいる。さらには真っ直ぐ歩けない人もいた。
 私が子供の頃のボクシングブームはすごくて、世界戦は当然の事として東洋や全日本戦でもテレビで中継していたし、スポーツ新聞は一面トップ。さらには専門の雑誌もいくつかあった。私が好きだったのはフライ級チャンピォンの大場。確か二十歳でチャンピォンのまま自動車事故で死んでしまった。
 ここ高円寺チャンピォンのお客さんは、ほとんどがかつてのボクシングチャンピォン。あの頃の話をせがむと「当時のボクシングはスポーツというより格闘技。だから打たれても前へ前へ、根性で前に出ろって教わったもんだ。だから大場は平衡感覚が少しおかしかったんじゃないかな」そういって少しだけシャドーボクシングをしてくれた。
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Mon.

vol.122 素直で礼儀正しい若者

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 エヌオーに遊びに来たり、仕事を手伝ったりしてくれる若者は、誰もがとても感じがいい。私の若い頃の事を思うと本当に信じられない程に素直で礼儀正しい。いったい何故なんだろう。私だったら例えば「そんな仕事して楽しいですか」とか「何故こんな仕事してるんですか」とか「何の意味があるんですか」とかそんな事を聞きたがると思う。そして嫌がられて「二度と出入りするな」とかいわれて、それでも楽しそうだったら又、行ったりしてた様に思う。
 大人の望む様な若者になってもつまらない、いいこと無いし、第一その大人がそんな事、若者に望んでない。その事は高三ぐらいで理解出来てたから、その後の私はことごとく大人と対立していた。対立して初めて大人は本気になってくる。そうして初めて相手のせこさやいじましさ、つまらなさが見えて来ると共に、すごさも見えてくる。
 大人を本気にさせない若者はつまらない。いい子になっても何もいい事なんてないよ。

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Sun.

vol.121 拾ったテレビ

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 私の若い頃、テレビは買うモノではなく拾うモノであった。ちょうどその頃、テレビ受像機は白黒テレビからカラーテレビへの移行期、ゴミの収集日ともなるとあちこちに不用になった白黒テレビが捨ててあった。そんなゴミをあさっていると捨てに来た人が「アラ、学生さん。ウチの机や本棚も貰ってよ。重くて運べないの」と言われて貰いに言ったり、そんな時代だった。
 ウチのテレビも調子がわるくなし、そろそろ替え時かなと思っていると、大きなテレビが捨ててある。早速友達3人で古いテレビと入れ替える。今度のテレビはやたらと重く、男3人でどうやら持ち上がる重さ。やっとの思いで部屋に入れると、デカイブラウン管はそんなに大きくないが、ガラがやたらデカイ。部屋がそこだけ立派になった感じ。早速スイッチを入れると絵が出ない。アレッ壊れてるかと思ったら1分ほどして音が出た。この音がやたらいい音。さらに待つ事1分、ついに絵が出た。それもカラーだ!なんと真空管のカラーテレビだったのだ。
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Sat.

vol.120 アケタの店のマキ

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 日本人にブルースは歌えるかと聞かれて、「歌えるよ、だってホラ、マキは歌ってるじゃないか」と寺山修司はいった。そういえば浅川マキの初期の歌は寺山修司の作詞が多い。
 当時私が住んでた街から下って二ッ目の駅にそのライブハウスはあった。毎年一ヶ月、ずっとそのライブハウスに浅川マキは出ていて、いつも満員の観客、暗い店内にまっ黒な衣装、一本のスポットライト、ポツリと「よく、来たわね」というと静かに歌い始めた。
 浅川マキが似合う時代があったと思う。それは世の中に闇があった時代、だから彼女は自分のレコードがCD化されると、そのキンキンした音を認めることが出来ず、すぐにCD化を禁じた。そうだよね、浅川マキの声にCDの音は合わないもの。彼女が歌う深い闇はCDでは伝わらないもの。
 ライブが終りしばらく動けなかった。私の心の隅にある闇をやさしくなぐさめられた様な気がした。
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Fri.

vol.119 愛のくらし

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 そのロシア料理の店は新潟にあった。演劇関係の人がよく集る店で、私もささやかな手伝いをして打上げに呼ばれていた。その日はその店の娘が歌を歌うそうで、それも楽しみ。
 すでにたくさんのヒット曲を持ち、紅白にも出ていた彼女は、次から次へと歌ってくれた。ライブも終り、自分の父親の店でもあってか、リラックスして早いペースでお酒を呑み出した。
 私達の席に来た彼女は、テレビで見る時と違い意外に小柄、芸能人としての華やかさは無く、いかにもインテリな感じでもの静か、ひっそりとしてどこかとても寂しそう。「何か聞きたい曲ある」と彼女。「愛のくらし」をと私。愛に満たされた生活からやがて一人になる寂しさを歌ったその歌がとても好きだった。「わかった、歌ってあげる」ギター片手に歌ってくれたその歌はとても心に染みた。その頃、彼女、加藤登紀子の最愛の人が刑務所にはいってるのを知ったのはだいぶ後だった。
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Thu.

vol.118 怒らない日本人

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 日本人は大人しい。これがイギリス、フランス、ドイツだったら東京電力の回りはデモ隊で囲まれてる。さらにこれが六十年代、七十年代だったら、日本だって連日デモが起きてると思う。何故日本人はこんなにヒツジみたいに大人しくなってしまったんだろう。
 物が豊かになったから、心が豊かになったとでもいうのだろうか。ただ普通に生活していて、突然赤ちゃんや子供や若者が原発の被害にあう。テレビでは政治家が「ただちに被害にあう事はありません」といってる。当り前だ、原子力発電所が壊れたのであって、原子爆弾が落ちたんではない。でも原発は日本に落ちた原爆の何百倍も大きい。そんな大きなものが壊れたのだ、これから何年も、何十年もどんな影響があるのか誰もわからない。
 もうすぐ六十になる私なんかはどうでもいい。原子力の何かの物質が体に入っても発病まで二十年はかかるそうだから。でも若い人、子供を持ってる人は不安にならないんだろうか、怒ったりしないんだろうか。

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Wed.

vol.117 テレビはキャバクラ?

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 たまにテレビを見てると、やたらに若い女の子が団体で歌ったり踊ったりしてる。女の子ばかりじゃない。若い男の子を団体で歌ったり踊ったりしてる。いったいいつからテレビはキャバクラやホストクラブになったんだ。そう思って見ると女の子はホステスぽいし、男の子はホストっぽい。
 そうした仕事があるのを否定しているんじゃない。世の中に必要とされてるからこそ成立している仕事だと思ってる。でもね、テレビでやる事は無いだろう。夜、そうした所で遊ぶのが好きな人がいて、相手をする人がいる。でもそのパターンをそのままテレビに持ち込むのはグロイ。限られた空間の限られた時間の中の遊びを、そのまま日常の空間に持ち込むのはあざとすぎる、そう思う。
 こんなに子供達が大人にいい様にされる時代は無かった様に思うが、大人も大人なら子供も子供とは思わない。大人の欲望が子供に移り、なんだかおぞましい関係がテレビから見えてくる。
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Tue.

vol.116  頭にくる結婚式

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結婚式に行くたびに、頭に来る。まあお祝い事だからと思ってガマンしてるが、それでも私の年になるともう何十回も行って、そのたびに頭に来て帰ってくるのだから、行くのをよしたらいいとも思うけど、目出たい席にはなるべく行く様にしてるので、声がかかると行ってしまう。
 結婚式とは基本的にこれから若い二人が結婚をするので、回りのお世話になった、これからお世話になる人達に、よろしくお願いしますとお披露目をする式だと理解している。なのに何故、結婚する二人の子供時代の写真を見せられたり、新婦が席を外して着替えに行ったりするんだ。さらに一番頭に来るのが必ず最後にある両親への花束贈呈、そんな内輪のことは自分の家でやって来い。
 これから色々とお世話になる人達が来てるのだから、新郎新婦はそんなヒマがあるのなら酒でもついで頭下げて回れというのが私の考えである。だってこれから長い間お世話になるんでしょう。
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Mon.

vol.115 友達のマイホーム

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 学生時代の友達が家を建てたので同期三~四人で遊びに行くことになった。もともと金持ち、おまけにエリートサラリーマン。やっかみもあって電車の中での会話は「ヤツの家な、オレ達が小学生の頃遠足に行ったところなんだよ。」「それじゃあ毎日遠足か。」などと悪態をつきながら駅前のタクシーに乗った。
 十分ほどで着くと「ギャッ」でかい。玄関には花、ふかふかのスリッパ、応接間に通されると、テーブルには料理の準備がしてある。すっかり気落ちした私達は、それでも、「いい家じゃないか」「うらやましいよ」などと心にもない事を言っていたが、「いらっしゃいませ」といいながら彼の奥さんが入って来た時から俄に雰囲気が変わった。
 「デカイ家はいいとしよう。表にある外車も許そう。革張りソファーのある応接間もガマンする。でもあのしっとりとしたビジンの奥さんだけは許せない。」ということで意見が一致し、それから荒れに荒れた。最後には「火を付けて帰ろう」とまで言い出す始末。
 あれからその家には行っていない。
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Fri.

vol.114 ボロイバイト

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 アルバイトは本当に数限り無くやった。もう本当にたくさん、書ききれないくらいの数を。その中でいくつかボロイ、つまり楽してたくさんのお金を貰えたバイトがあったが、なかでも良かったのが業界紙の原稿書き、これは本当にいいバイトだった。
 世の中にはたくさんの業界があり、それぞれの業界で雑誌を出していたり、新聞を出していたりする。例えは石油業界とか木材業界、土木業界とか食材業界とか、もう数限りなくある、その中のある業界団体で働く知人からバイトの話があった。「ヒマなら少し手伝ってくれないか、一枚千円出すから」一枚とは原稿用紙一枚の事、これはいいギャラだ「で、どんな事書くんですか」と私。何でも資料を渡すからそれを短くまとめればいいらしい。おまけに大事な所には赤線が引いてある。何の事はない。すらすら、あっという間に二〜三十枚、これはボロかった。しかし長くは続かない、その後、写真込みで一枚千円、交通費ナシの仕事をする事になる。
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Thu.

vol.113 ハダカのオンナとオンナのハダカ

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 作家の富岡多恵子さんと写真家の荒木さんが対談をした。もう三十年近く前の事で、その頃の荒木さんはメジャーではなく、女の裸を撮るカメラマンとして一部の人に知られる存在。対談の中で富岡さんが荒木さんに向って、「あなたの写真には裸の女が写ってない。写っているのは女の裸だ」という様な意味の事をいっていたが、これには荒木さんも答える事が出来ず、質問をはぐらかしている様な感じを受けた。
 この富岡さんのいう裸の女とはいったいどういう意味だろうと考えた。写真を始めたばかりの頃でもあり、写真に外面的なものでは無く、内面的なものも撮影可能なのかどうかという問いは、いつも私の頭の中にあった。
 作家であり、シナリオも書く富岡さんは人の内面を書いているという自負があり、そんな所から出た言葉なのだろうと思うが、私にはとても重い問いかけだった。あれから随分時がたったが、今も私は頭の中で問い続けている。
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Wed.

vol.112 就職差別

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 ドリーム・カム・トゥルー。この言葉はニューヨークで活躍する日本人のダンサーをインタビューした時に初めて聞いた。あちらではどんなショーも全てオーディションから始まるそうで、そのたびにドリーム・カム・トゥルー。そう思って行くそうだ。
 ある自動車会社の就職試験を受けた友達が「いやあ、運動場に並ばされたよ」と言ってた。聞くと、その自動車会社では、東大が役員室、東工大と早慶が大ホール、他の六大学は運動場に並ばされる。そんな事をいってた。
 今ではこんな事も無いだろうが、内実はそう違ってるとも思えない。世の中こんなもの。そして運動場に並んだ学生が出世しないとも限らない。
 運動場に並ばされて「どんなドリームだよ」と思う学生もいわば、「ここからオレのドリームが始まる」と思う学生もいる。当然企業は後者を採用するし、そんな学生が会社を活性化していく。
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