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Thu.

vol.130 オヤジと同じ仕事

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 親子で同じ仕事、私の小中学生の同級生はほとんどがそうである。学校の先生の子供は先生に、国鉄の息子はJRに、NTTの子供はNTTに、専売の子供は日本タバコに、医者の息子は医者に、農家の息子は農家に、それぞれなっている。そして娘達もオヤジのツテで同じ職場に入り、職場結婚したのが多い。
 さて、その息子の次、私達の息子の世代になるとほとんどオヤジとは違う仕事をしている。「どうして息子を入れなかったの?」と聞くと「とても息子の頭じゃ入れない」と言う。「そうやって入っているオマエがどんだけの頭だよ」と思うが、どうも時代が変わったらしい。
 世話になった人の息子が入って来れば大事にするし、息子の方もオヤジの顔があるから、めったな事はできない。こうして日本の大部分の職場が成り立ってきた。
 もう戻れない、何もかも自己責任時代だとよ。しかし、日本人全体が本当にそんな事望んでたのかな。
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Mon.

vol.129 アローハァ

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フジヤミュージックサロンだったと思う。まだライブハウスという言葉がなくて、ライブのあるところがジャズ喫茶(ロックをやってても)とかミュージックサロンと呼ばれていた頃、最初で最後になったハワイアンミュージックのライブを見た。
 白いズボンにエナメルの白い靴、アロハシャツにレイを首にかけた初老の紳士、いかにも紳士という感じの人が、「アローハァ」といってスチールギターを弾き始める。ツービートのリズムが気持ちいい。そしてスチールギターの音色が素晴しくいい。伝説の「バッキ白片とアロハハワイアンズ。」かつて全国の大学生バンドがあこがれ、コピーしたバンドがこれである。
 日本的名少し湿度感のある、哀愁に満ちたメロディーラインは独特のもの。日本のハワイアンだった。洋楽として日本人に入ってきたハワイアンを日本独自の音楽として取り入れ昇華する。それも戦後のわずかな間に。
 日本が勝れてのは車や電気製品だけじゃない、音楽もまた勝れていた。
11:36 | 未分類 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑
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