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Fri.

vol.190 「ストリッパーの追っかけ」

おっかけ
 待合室には若い男が二人、じっと座っていた。ストリップ小屋の待合室に人がいる事は珍しい。中で座れない程混むことなんてほどんどないし、あっても立ち見で見ている。だから人が待っている姿を初めて見た。よく見ると手にタンバリンと何やら不思議なたくさんの糸をぐるぐる巻いた、タコ揚げの時の糸巻きのようなものを持っている。
 少し気になったが、そのまま上の事務所に行く。上は踊り子さんの控え室がそれぞれあって、奥が事務所。当時オウム真理教を辞めた女の子がストリッパーになった事があって、その取材をきっかけに、出入りを許されるようになった。
 「社長、下の若い人二人、何ですか?」気になってたことを聞くと、「ああ、あれか。あれは追っかけや。一人は名古屋、一人は大阪から来とる。好きな娘を追っかけて全国の小屋を旅しとるんや」
 そのダンサーのステージ、二人がタンバリンで踊りを盛り上げる。そしてラストのフィナーレ。左右に分かれた彼らは、バツグンのタイミングで右と左からテープをステージへ投げる。それは夢のような景色だった。
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Fri.

vol.189 「力道山の言葉」

力道山

 一時期、ヤクザの親分に気に入られ、一緒に遊んだ時があった。何かの事情で大阪から東京へ来ていたらしく、たいした仕事も無かったのか、しょっちゅう電話がかかって来る。親しげな声で「おーい、稲原君、どや、行こか?」
 私のどこを気に入ってくれたのか、会うと色々な面白い話をしてくれる。外見は少し恐いが、神経は繊細で、頭の良さが並ではない。そして人に対する洞察力がすごい。なるほど人の上に立つ人は違うと思わせる魅力があるが、酒を飲み過ぎるとやたらにワガママになり暴れだす。そんな時は大変だった。
 ある時プロレスの興行をしていた時の話をしてくれた。当時のスターは力道山。戦後日本の最大のヒーローの一人。そんな力道山に対してこう聞いたそうだ。「あんなん、八百長でしょう」それに対してこう答えたそうだ。「基本的にはそう。プロレスは他のスポーツと違って毎日試合がある。ただしレスラーのなかにはセメントというのがいる。これは気分屋で決めた事を守らないことがある。だから試合は油断がならんのです」。
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Tue.

vol.188 「アントニオ猪木に会った日」

 地方の小さな体育館。アントニオ猪木はその用具室でレスリングシューズを結んでいた。小さな雑誌のささやかなインタビュー。あいさつをすると、立ち上がり、「アントニオ猪木です」とあいさつを返してくれる。驕ったところの少しも無い、誠実な人だと思った。
 「一番印象に残る試合を教えて下さい」前もって準備した平凡な質問に、懸命に考えながら静かに答えてくれた。「ドリー・ファンクとの試合ですね」その当時、アメリカの大きな団体のチャンピオンだったドリー・ファンク。私はその試合をテレビで見てる。どちらも負けられない一戦。結果は60分フルタイム戦ってドローだったと思う。どちらかといえば地味な、あまり面白い試合ではなかった様に覚えている。
 互いに体力的にも精神的にも年齢的にもピークの時。戦っている当人同士でしか分からない何かがあったんだろう。その何かを、ほとんど理解出来ない私に向かって、どう説明していいか戸惑いながら、懸命に理解させようとしてくれる。不思議な、とてつもない魅力を持った人だった。
12:28 | 未分類 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑
Sat.

vol.187 「時代」を聴いた日

 親しくなった友達に北海道出身の男がいた。ある時、カウンターがやたらに大きな一枚板の、そしてカウンターだけの高円寺の飲み屋で飲んでいた。その店は東北出身のママさんが一人、そしていつも、浅川マキだの中山ラビだの山崎ハコだのといった比較的マイナーな歌手のレコードがかかっていた。
 カウンターの上の大きな皿には色々な料理。大きなビンには得体の知れない何か。静かなママさんに暗い店内。あの頃、中央線にはポツポツあった。そして今では完全に無くなってしまった店。もう店の名前も思い出せない。
 突然中島みゆきの「時代」がかかった。彼がポツリと「オレ、この曲、聴いたことがある。高校の文化祭の時。学校の講堂で中島みゆきはこの歌を歌ったんだ。ギターを弾きながらね。もう、ほとんど、全員泣いたよ。」と言った。歌は、いつ・どこで・誰と、そんなシチュエーションが大事。だから心の中に入ってくる。彼が本当にうらやましかった。仕事も変わり、会う事もなくなったが、未だにこのシチュエーションだけは目に浮かぶようだ。
12:26 | 未分類 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑
Wed.

vol.186 「前衛音楽」

 前衛という言葉を聞かなくなって久しい。前衛ジャズ、前衛絵画、前衛映画に前衛俳句。あらゆるアートには前衛というジャンルがあり、それは理解不能なものがほとんどだったが、理解されるべきものとしてそこにあった。
 この前衛芸術の発表の場として一番有名だったのが赤坂の草月ホール。建物自体もなんだか前衛的で、私など行く前からかなり緊張していた。その日は現代曲の演奏会。現代音楽といっても知らない人も多いと思うが、基本的にはクラシックの流れの現代あるいは近代に作曲されたもの。つまりモーツァルトやベートーベンではなく、シェーンベルクとかスメタナなんかの音楽の事。
 ステージにはたくさんの見たことのない打楽器を持った人が並んでる。それもヨコでは無くタテに並んでる人がいる。演奏が始まった。ほとんどメロディーは無く、リズムだけ。そのリズムがえんえんと続く。今でいう打ち込みのマシーンの様。ただ人がやっているので一つの楽器も体力の限界があり、後の人と交替しながら音楽は続く。その内トリップしてきた。初めて聴いたジョン・ケージだった。
12:23 | 未分類 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑
Sat.

vol.185 「中央フリーウエイ」

 初めてユーミンを聴いたのはタクシーの中だった。曲は「卒業写真」。高校を出て変わっていく自分を変わらない目で見ていて欲しい。何故ならあなたは私の青春だからと歌うユーミンの声に、私はもうほとんど泣き出した。
 高校を出て大学に入ってもなじめず、何をやっても世の中と折り合いを付ける事の出来なかった私は、なんとかまっとうな仕事をしたくて焦っていた。そんな時に聴いたユーミンの曲は、もう一度私をあの頃に連れ出し、現在の変更をせまっていた。
 それからしばらくして「中央フリーウエイ」を耳にする。20号線、甲州街道を毎日のように走っていた私達には、高速といえば中央高速の事、そして東京競馬場もサントリーのビール工場も特別思い入れる事の無いありふれた風景。当時八王子に住んでいたユーミンは世田谷から中央高速に乗って帰っていたんだと思う。その頃付き合ってた彼の車で。
 それにしても私の知ってる、バイクで何度も走った中央高速と「中央フリーウエイ」はあまりに違う。こんな殺伐とした風景から、あんなロマンチックな歌を作るなんて。
12:14 | 未分類 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑
Wed.

vol.184 「相模湖のヌード」

 70年代にたくさんあったマンガ雑誌はほとんどヌードグラビアが付いていた。
今の時代から見ればどうという事もないヌードグラビアだが、当時はヌードになるモデルがとても少なく、撮る方も撮られる方もかなりなプレッシャーを感じながら撮影していた。
 そんな雑誌の一つから私にヌード撮影の依頼があった。待ち合わせ場所の車に乗り込みモデルの顔を見るなり「あー、こりゃダメだ。今日の撮影は大変な事になる」と思った。目がイッてて焦点を結んでない。あいさつをしてもヘラヘラ笑ってるだけ。近付くと少し甘い匂いがする。何のクスリか知らないが、こりゃそうとうラリってる。
 このまま帰りたかったが、そのまま相模湖のモーテルへ。この頃、何故かこうした撮影はほとんど相模湖だった。機材のセットも終わり、撮影開始、とはならない。もうぐずり始めた。おまけに声がデカイ。やれ帰るだの、モーテルの窓から飛び降りるだの、本当に後ろから押してやりたい気持ちになったが、編集者がなだめすかしてなんとか撮影終了。帰りの車は全員無口だった。
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Sun.

vol.183 「九州プロレス」

 九州にも「九州プロレス」という団体を作る事になり、私がポスターを撮影する事になった。その頃プロレスが好きでよくテレビでは見てたけれど、本物のプロレスラーを撮影するのは初めて。おっかなびっくり撮影を始めたが、全員プロレスが好きで好きでだからプロレスラーになりましたという人ばかり。リングの上ではおっかなくても、ちょっと気の弱そうな、気のいいスポーツマンだった。
 撮影も順調に進んでラスト近くいつまでもトレーニングシャツを着たままの人がいる。プロレスのポスターは上半身ハダカが決まり。「脱いで下さい」とお願いすると、申し訳なさそうに、「すいません、脱がせて下さい」と小声で言う。聞いてみると試合で骨にヒビが入り肩が上がらないそうだ。そんな状態でも試合に出るという。何でそこまでと聞いたら「プロレス、好きなんですよ」と言ってた。
 他にも地味で性格もおとなしい人がマスクマンになって急にあばれだし、本当に手が付けられない様な試合をしたりで楽しい人達ばかり。
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